コロナが発生してから、色々なことが起こっています。これまで、裏にあったものが表に出てきています。世界が大きく変わる時でしょうか。
最近、NHKのカバーズと云う番組が続けて放送されています。今は、忌野清志郎さんのトリビュートを見ていますが、それを強く感じました。
なんだかんだといいつつ、私は同時代に生きていましたから気になって見てしまいます。
清志郎さんを最初に聞いたのは、「僕の好きな先生」ですが、当時の私にはあまり分からなかったのですが、とてもソウルフルだったんですね。
そのあと知ったのは、友人から「シングルマン」というアルバムを教えて貰ってびっくりしたことです。
バックが、タワー・オブ・パワーとか聞いていて、その音の凄さとそれに負けない清志郎さんのボーカルです。見事に日本のソウル音楽になっていました。
その後しばらくして、「雨上がりの夜空に」で華麗なロックスターになっていました。でも最後の方は、何か日本の庶民的なロックスターだったように思います。
ふと思ったのは、これは、デザインの話ですが、あるデザイン作家さんが「最近、シミッタレデザインがない」と何年か前に言われましたが、このシミッタレ感覚は、実に日本の本質ではないかということです。
最近では「BEAMS AT HOME」とか昔「マルミツ陶器」などのスタイルが、近い気がします。デザインも インテリアなどで使われる様式分類では、モダンにしろクラシックにしろ基準が 西欧のものとなっていました。ところが、「シミッタレデザイン」は、日本の庶民的な様式で この分類では外れたもののような気がします。
実はこれは、自動車で言えば、昔のチンクエチェントやミニのように 庶民の足とか道具であったものと共通な感覚です。でも、今やこれらの車も、そんな感覚はなく、なんとなくお洒落です。
車のデザインが分かりやすいと思い書きましたが、いつからか、高級感がなければ良いデザインではないように進んできたのではないでしょうか。
ここにきて、コロナが明らかにしたことは、311東日本大震災で言われた価値観の変化が、いよいよ目の前で具体化するような気がします。
実際の現実世界では、既に始まっているのですが、これまでは、古い価値観が強く多い隠していましたが、いよいよ動き出すような雰囲気です。
そうそう、最近の音楽番組は、今日の「清志郎トリビュート」やカバーズなどの過去の歌の番組が増えているのは、何となくこれまでの世界に「サヨナラ」を言うためのような気がします。
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