物語としての現実

昨日は、スピリチュアルのもう一つの面を書きましたがこれも現実です。
私が、見ているカードリーディングには、ネガティブな部分は、それまであまり感じてませんでした。
昨日書いたユルフワスピリチュアルのブログ記事は、スピリチュアルには、ネガティブな面もあるから気をつけてと言う事だったと思います。
スピリチュアルを全て信じてしまうと危険だよと言う事ですが、現実としては騙されている人が多いと言うことの様です。
私は、スピリチュアルに対して、これまでそんなことはあまり考えなかったのですが、ちょっと気になりました。
現実と精神世界の関係は、今でこそ現実が全ての様になっていますが、かつては、神事と現実は共存していました。
それが、日本では、大東亜戦争に負けて以降どんどん神事が追いやられ現実が全てとなってしまいました。
現実とは、科学が支配するのでしょうか。科学とは合理的という世界でしょう。
合理的に説明できる、見えるものしか信じない世界です。
それは、神様は存在しない世界です。
それは、共産主義という世界です。
でも、科学はキリスト教から生まれました。共産主義も同じくキリスト教合理主義から生まれました。
神様を地球の現実から追い出そうとしたのは誰か。
神様を人から切り離そうとしたのは誰か?
キリスト教を纏った悪魔です。
現実に、悪魔は人の心を神様から切り離して奴隷として、世界を征服しようとしました。
それが、ずっと昔から今まで続いていたのです。
地球が壊れ、人が大勢亡くなるところまで来ています。
いよいよ地球は、悪魔が支配する地獄の世になる。
と、ネガティブな情報で人を恐怖に陥れて支配したのです。
実際に悪魔崇拝の儀式は行われ、多くの命が捧げられました。
これは現実です。
しかし、
これは、また全て夢物語です。
私たちが、体験し様々な感情を感じるために設定された大掛かりな夢物語です。
ただ、現実自体があまりに良く出来ているため、劇である事が分かりません。
そして、それを監督しているのは自分自身です。
全ては、劇である事を楽しんでいきましょう。

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