今回は、リハビリを離れて久しぶりに見た映画から、考えた事を書いてみました。
私は、エバンゲリオンの世代ではないですが、2000年ごろ知り、宗教的な意味が気になり時々見ていました。
一生懸命見るわけでなく、劇場版が作られても映画館へ行くこともなくTVでの放送を見ていました。
今回、Amazonで「シン・エバンゲリオン劇場版」を見ました。
いつもCGの素晴らしさに感動します。
ストーリーも面白かったのですが、気になる言葉がフッと出てきました。
はっきり覚えていませんが、シンジと父が戦っている場面で、父が「希望はない」ということばを言いました。
「希望はない」確かに希望はないのかもしれません。
希望とは、「好ましい事の実現を望む事」と辞書には書かれてます。
好ましい事が
好ましい事とはどんな事か?と考え出すとぐるぐる回りそうです。
映画の中でのこの言葉を聞いてから、セックス・ピストルズの歌詞で「ノーフューチャー」という言葉が出てきました。
これは単純に「俺たちの未来はない」と言っていたと思います。
彼らのいう「未来がない」というのは、シンジの父の「希望ははない」とは違うのでしょうか?
どちらも未来について望ましい物がないと言っている様に聞こえます。
でもここで、シンジの父の言葉からは、何故か「未来そのものがない」という様に聞こえてきましたす
未来はありますが希望がないだけです。が、希望のない未来は、ないと同じだと言う事です。
そうじゃない。
希望など元々ないのです。そして、絶望もないのです。
人は、それをこの現実の中で思い感じるだけ。
シン・エバンゲリオンからこんな事を考えました。
0コメント