形而上、形而下と言われても

形而上という言葉が気になりました。

「精神」か、「物質」かという意味でしょうか?

「精神」を科学的に扱っていることを示しているのでしょうか?

これにより、精神と物質は別物となりました。

本来の意味は、「見える世界と見えない世界」でしょうか?

それくらいの意味だと思うのですが、世界を理解するのに一見分かりやすそうですが、返って分離してしまい分かりにくくしているような気がします。

というか、「見えない世界」を棚上げして、近づか無くするための口実にしているような気がします。

それは、大東亜戦争以前の日本では無く、敗戦後に日本の教育が、西欧的になった結果なのでしょう。

科学と言う名の下、現実主義というか、物質主義というか目に見えるものが全てという生き方を助長しているように思います。

神様と自分を分離することが、科学の名の下に行なわれたわけです。

これは、言い過ぎかもしれませんが、本来繋がっているものを分離することで、混乱させ真実から目をそらさせる。

「分離し、物理的と言われる世界が現実であり、意識、夢、感情とか目に見えない世界とは現実と切り離された別の物だ」と考える事が普通になっています。

その結果、物理的な世界しか見ない人々が大半となる世界になっています。

今の、世の中がおかしくなっているのはこの為であると言ってもいいのではないですか。

自分のことしか考えず行動する。それが、誰かから脅された結果だとしても我が身が、可愛いことから。

「我が身を守るため。家族を守るため。人がどんな間に合おうとかまわない。」と言う状態です。

ただし、全てはその人が望んだ様に動いています。
少しも間違いはありません。

だから、ほとんどの人は知っています。

魂レベルでは、真実が何であるか。

自分が何故ここにいるか。

全てわかっていますが、それを口にする事がとても怖いのです。

科学に頼らなくても、自分に問いかけるだけで分かります。

厳しい修行をしなくてもわかります。

自分が何者か、自分に聞けばわかります。

今は、そんな時代です。

そして新しい世界へ向かいます。

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