昨日の続きです。
今でも強く印象に残っているのは、妻が妊娠した後、神社にお礼参りに出かけた帰り道、「このまま行くか、道を変えるか?」と誰かに聞かれました。
誰か?多分、もう一人の自分ですか?
それは、夕陽を見ながらでした。
夕陽は天界からのサインだったのです。
ポイントごとに、サインが現れるようです。
その頃は、バブルの中で「このまま、会社で面白おかしく過ごしていけばいいかな。」と考えていた頃ですが、その言葉に何故か自分は反応しました。
そして、阪神淡路大震災が起こります。
ここから、私の人生大きく変わりました。
多分、「私は、変わらなければ」とあの時思ったのでしょう。
その地震は、その後、精神世界を教えて下さった先生に出会うきっかけがこの地震でした。
私は、会社の命令で神戸へ応援に行きました。
そこで、販売会社の人と過ごして、自分の立場がどんなものか教えてもらいました。
地震の影響もありますが、それまでは会社という枠組みの中で「楽に生きていたんだな」と分かりました。
そんな中で、自ら部署を移動し外部のデザイナーの方としごとをする様になりました。
その頃、日本は政策の変更により、企業が大きくからり始めた頃でした。
多くの大企業でもリストラが行われました。
会社でも、有名な企業から多くの人が入ってきました。
そのため、会社内での競争が激化しました。
それを活性化と呼美ましたが、結局企業の基盤が揺らぐ原因となった思います。
その中で、私は外部のデザイナーさんと組む時、「会社でのこの先の道はないな」と思いながら一緒に進む事を決心しました。
この先生、出会った時、「これから、精神世界の勉強しなさい。あなたの守護霊が言ってる。」言われました。
その頃、ずっと死後の世界が気になって本を読んでいたからです。
話などしたこともないのに、それを言われたのでびっくりしました。
その後!阪神大震災の時の様子とか聞き、更に会社との関わり方を聞いて「この人と一緒なら何かできるかもしれない。」と思いました。
ただし、規格外の方ですから、社内からは反発は強くほとんど無視状態。
その中、結果を出すため力ずくでやらなければなりませんでした。
この方と一緒にあちこちまわりました。
始めた頃、精神世界系の雑誌で、麻賀多神社の特集がありました。
初めて聞く神社ですが、ひふみ神示の降りた神社です。
最初の仕事がその近くの成田市であったこともあり、参拝しました。
その後、色々不思議な体験を一緒にさせていただきました。
10年ほど一緒にさせて頂きましたが、元部署に戻ることになりましたがその間に会社の構造も随分変わり、仕事自体も変わっており全く役立たずになってました。
それでも、そのまま居続け定年までいたわけです。
結局、私はこの会社、社会に馴染む事ができなかったということです。
社会に馴染まない自分は、なんて変な人間だっただろうと思います。
それが、スターシードというものかもかもしれません。
退職後、知り合いの工務店さんを手伝いながらこ、「まあこんな感じで人生は終わるかな。」なんて過ごしていましたが、あることから激変しました。
ここまでは、「ちょっと不思議な事があったかな。
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